ジュニア野菜ソムリエ(現 野菜ソムリエ)になったらすぐ、友人が講座を依頼してくれました。
当時、ジュニア野菜ソムリエは、自らが楽しむ。という枠があったので、無料のおしゃべり会のような事をさせてもらっていました。今思えば、人前でのおしゃべりの礎がこの頃にあると思います。
求められていたのが、主に野菜の目利きでした。
美味しい野菜の見分け方。
野菜の栄養価。
回数を重ねるうち、ものすごい違和感を感じはじめました。
よくその頃使っていたワードが、「これから話す目利きは、優等生の話です。私は、少し不良息子の方が好きですけどね🤣」
艶が良くてハリがあって真っ直ぐで、ヘタはピンとはっていて、色鮮やかな、、、。
確かに、丁寧に育てられて新鮮なものは美味しい!これは間違えないんですが、幼少期、専業農家だった祖父母の手伝いをしながら育ててもらったおかげで、野菜の目利き、つまり1つの種からできる野菜たちに優劣をつける事に、違和感しかなくなっちゃって、、(笑)
どんなに丁寧に育てても、やっぱりきゅうりは曲がっちゃうし、風が吹けば傷もつく。畑の石は全部は拾えず育ったお芋は凸凹にもなる。じゃ、この野菜は不味いのか?不味ければ捨てるのかい?
農家はなるべく捨てない。祖父は大正5年生まれ。男子厨房に入るべからずの時代を生きてきたはずですが、そんな時代に背を向けて、祖母と共に料理を楽しむ人でした。
それはなぜか。
自分が育てた野菜を捨てたくないから。
曲がってようが、筋張ってようが、虫が食ってようが、小さかろうが大きかろうが、すっぱかろうが苦かろうが、、
人が食材に合わせればいいの。棄てるのはもったいない。まぁこ(祖父だけ私をこんな風に呼んでました)塩が合うのか、醤油があうのか、味噌があうのか、焼くのがいいか、煮るのがいいか、蒸すのがいいか。大きくきる、小さく切る、つぶしてみる、おろしてみる。色々試せば、その個性にあった美味しい料理にできる。食材を人の都合に合わせるな。自分が合わせていけ。
こんな意味の事を、祖父母共によく語ってくれました。このあたりが、ヤサイコトバの【野菜の生き様を語る】って事につながっているのかな。
またまた話がそれたけど(笑)そんなモヤモヤした時代に、私は一流の料理人達と出会いはじめ、この祖父母の話がより、胸にストンと落ち始めるのです。
次回は、緑スカーフにチャレンジしたのは、プロの力でした。を綴ります。