背中を押されたあの出来事

王理恵さんのおかげで、野菜ソムリエの存在を知った後。子育てメインの生活のまま、月日がすぎて、、2011年を迎えました。世界を震撼させた 東日本大地震。

ちょっと話がそれますが、あの津波の映像を見た時、大学時代の阪神淡路大震災の出来事を思い出しました。当時20歳、成人式で神戸に帰省していた友達が、被災しました。彼の実家はご近所さんが、日本の有名なギャングの総本山だったそうで😅震災直後、まだ行政もうまく機能してない時に、いち早く炊き出しを始めたのが、強面のをお兄さん達だったそう。そして、親分さんの元にあっという間に、全国から支援物資が届いたそうで、、それを市民に配布されたそうです。印象的だったのが、新潟ナンバーの黒塗りのベンツに、バックミラーに外がうつらないほど、高く積まれたパンパース(赤ちゃん用の紙おむつ)!

いかにも強そうなお兄さん達が、必要な市民に配布されたそうです。あの時、根っからの悪ってないよなぁ。って思ったし、あたたかい食事はうまかった。と、泣きながら話してくれたことが忘れられません。

それすぎた話を戻しましょう(笑)私にはこの友人から聞いた、災害時には、正しい初動が大切という事が、刻み込まれていました。

故に、東日本大震災の時は、報道から3時間後には、当時ハンドメイド仲間だった友人達と、支援グループを作り、その日のうちに募金を呼びかけて、オムツや粉ミルクを送る活動を始めました。

しかし、、この初動は甘く、物はそろえど、発送はできず。。日赤に募金として送る事しかできなかったのです。それでも、何かできないかと、色々な人と連携しながら活動し、物が送れるようになった時、南三陸の仮設住宅のリーダーの方と、連絡を取り合うようになりました。その後は、東日本大震災応援山口ママの会として、子供さんに必要なハンドメイド品などを贈る活動をしていました。

その時、、他に何かできる事は?との問いかけに。

石碑でも立ててくれるか?と言われました。。えっ?こんな時に?!もっと必要な食べ物とか、衣類とかがいいのでは?と思いましたが、、

理由は、、

ここにいる全員に同じように行き渡る物でなければいらないんだよ。

1人分でもかければ、人間関係は崩れる。1つの飴玉がないだけでバランスが崩れる極限の状態なんだよ。ここは。だから、みんなに平等って意味では石碑でも立ててくれた方が嬉しいんだよ。と言われ驚愕しました。

かと言って、石碑を建てれる状況でもなく、、どうしようかと、、思っていたら、  

そうだ!餅米を送ってくれよ!みんなで餅つきして、食べたい人が、少しづつでも食べればいいんだ。

と言われ、山口から餅米、埼玉(だったと思)石臼、杵を贈りました。

その後、写真と三陸のワカメが送られてきました。

とても癒された。食べる事は生きることだ。ありがとう。そんな意味合いのメッセージと共に。

南三陸からのお便り

このやりとりがあり、辛い時にも、笑顔が生まれる物「食べ物」に関わる事がやりたい!と思うようになりました。

何から始めたらよいか。。そこで、この時、思い出したのが、野菜ソムリエという存在。

そうだ!まず、野菜ソムリエになろう!急な決心でしかたが、たまたま山口で通学制が開校していて、すぐにチャレンジしたのでした。

次回は、ジュニア野菜ソムリエ時代は、もやもやしていた?!お話しです(笑)